ここは、いろいろな人の居場所。緩やかにつながる心地よさ~わおん~

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またまた更新滞ってしまい、申し訳ありません。

まずは活動2日目、石巻でのことを記します。

「仙南支援部隊・チーム王冠」さんのお手伝いで、
自宅避難をされているご家庭に支援物資をお届けするという
お役目を頂きました。

自宅非難者存在地域
石巻自宅避難
石巻物資配達


何軒かお届けしていく中で、震災直後の大変な状況を
聞かせていただき、本当に言葉では表せない大変さが
皆さんに降りかかっていたのだなと痛感させられました。
基本的に、自宅避難者というのは、「自ら残っている」という場合と、
「避難所が受け入れられない」場合があり、複雑さも感じました。
受け入れられない、つまり、全て津波にさらわれて、
自宅で雨露をしのぐことすらできない状態の人が優先となり、
被害が大きくても、家屋が残っている(倒壊はしないだろう)という
被災者は、避難所から追い出されるように自宅に戻らされたとのこと。
避難所に残る方も家に戻る方も、同じ被災者なのに、
お互い、言葉の掛けようもなかったことでしょう。

そういう事実を聞き、改めてサバイバルな生活なんだと思い知らされたのですが、
配給活動終盤で、私が伺った中では一番ひどい地域のご家庭を訪問した時のことです。
明らかに、疲労が表情に浮かんでいる、50代くらいの女性が出ていらっしゃいました。

ガスコンロを配給し、岐阜から持って行ったキャベツをお渡ししました。
「このあたりは特にひどいですね。」
「2階は少し高い位置にしてあったけど、2階で膝くらいまで水に浸かったよ。」
「そうですか、、、」
「どう言葉にしていいか分かりませんが、、、お邪魔しました。」と、
相手の状況が分かったような分からなかったような、そんな短い会話をし、
次へと向かおうとした時、その女性が私たちを呼びとめました。

「お疲れさんだね。」と、

ペットボトル入りのお茶を人数分、

私たちにくださいました。


あなたの方が疲れているはず。そう叫びたくなりました。

と同時に、この状況で、他者を思い遣れる心のありように、

深く心を動かされました。


続きまして、
うーん、
画像データの選別が難しい!

そんな中でこの2枚を選びました。

1枚目、親父の、ペイントだらけの車
親父の車

岐阜でこの車を運転するのは、
一般人にはかなり勇気がいる。
しかし、親父のこのセンスは、
被災地に行ってから抜群であったと感じさせられた。
「捨て身」な感じがする。
被災地において、「すごいねー」という、
ここまで入れ込んでくれているんだという、
ある種の感動を与えていた。

そこまで狙ったのかどうかは定かではないが、
バックにたなびくノボリも、
被災者感情に沿う状態と言ってよい。
まさに「捨て身」で、取り急ぎ動いたという緊迫感が伝わる。
車、ノボリ、ありがとう、親父。


続いて、中2のTの存在。
雄太郎&塾長&私

出発前は単純にTにとっての勉強になってくれればという
私たち側のメリットしか私は想像していなかった。
ところが、被災地の方々は「よく来てくれた」と労をねぎらってくれた。
ある避難所の所長さんは、
「子どもにこそ、この現状を見てもらいたい。
 この国の将来を作っていく世代が、
 自分たちの生きているこの国で何が起きたのか、
 直接見ることで、復興をこの国全体の問題としてもらえるのではないか。」
そうおっしゃっていました。
以前、このブログでわが子の修学旅行の件を記しましたが、
そのことをその所長さんにお話ししたところ、
「全く同感。私が校長ならそうします。」とまで
おっしゃっていました。

まさしく、一個人のキャリア形成という、
せまーい考え方ではなく、日本という国を大局的に見た場合の、子どもたちの同行。
これは非常に重要なのではないかと感じています。


経済活動は少しずつ動き出していることは間違いありません。
24時間営業の飲食店や、コンビニ、ガソリンスタンド。
看板が傾いたままでも営業を再開した飲食店。
ペットボトル飲料が山積みで売られている大型スーパー。
そこで働く人たちの顔から明るさが垣間見られることも。
確かに、いつまでも下を向いていられない。
行動できる状況にある人は行動し、地元の復興を
支える主体になっていくことが何よりなことです。

車で5分も走れば、がれきの散乱した地域と隣り合わせでありながらも、
歯を食いしばって、日々、仕事に精を出す人たちの姿や、
疲れた表情ながらもペットボトルをくださった女性の姿。

「不足」が多くても、前に進むことを考えている人たちが、
確実に、そこにいました。

物質的に充足していても、夢や希望を持ちにくいと言われている現代において、
その正反対さをこの目で見てしまいました。
そのことが、今、私の中で整理がつかない部分です。
岐阜に戻り、学習塾の教壇に立ち、
元気なさそうに授業を受けている子どもたちを見た時、
今、私が「勉強できる環境にいることをありがたいと思え!」と
力むことは、あまり意味がないと思っています。
自分の環境は自分で設定できるほど、子どもたちは自由ではないですので、
その中で、勉強に前向きになれるかどうかは、被災地と比較して
論ずることではないという理屈です。
が、理屈ではない態度も思わず出てしまう、
それくらい動揺しているのだと
自分で感じています。そこは間違いないです。
まずいですね。


結局、行って、感じたことはたくさんありますが、
帰ってきて、完結ということは何もありません。

いつか一緒に笑えますように。

合掌




追伸

次回は、今回の支援活動参加者および現地の支援団体の人について
触れたいと思います。


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2011.07.24 / Top↑
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