ここは、いろいろな人の居場所。緩やかにつながる心地よさ~わおん~

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ここでは恐れず、結論に基づき書かせていただく。

テーマは「愛」だと思う。
受験というものには、合否が必ず付いて回る。
そこで、勝ち負けが論じられるが、
他者に対しての勝ち負けは言うに及ばず、
勝ち負けという言葉を、受験に対し
真剣になれたかどうかという点にもその言葉を使うことは
私はする気がしない。
その言葉を使うことはその価値観を持って人生を過ごす者であろう。

本来、人生には勝ちも負けもないと思う。
あるのは、真の幸せの探求ではないだろうか。

真の幸せとは、その達成によって、その人の見える範囲以外の人まで含め、
気持ちよくなれる出来事だったり変化だったりする。
それが愛だと私は思う。

愛あるところに道は開ける。

高校受験で、志望校に合格できなかったキミ。
キミならその立場を意味あるものにしてくれると、
「愛」の意思が判断し、他の、その立場に耐えられそうにないものを
合格させてあげたに過ぎない。
キミは必然的にそうなった。
キミは今は不幸せを感じるかもしれない。
しかし、それは真の不幸せではなく、「一時的な不幸せ」でしかない。
キミには愛があるから、一時的な不幸せはキミを覆いつくせない。
「愛」はそのことを知っているから、「愛」によって選ばれた。
それだけのことだ。

「愛」はキミを選んだ。
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2012.03.20 / Top↑
東北からの便りにも感激しましたが、
昨日、お店に一通の手紙が届きました。
以前勤めていたNPOの頃に、内海の合宿施設を
見学に来られた女性からでした。

ブログを時々見てくださっているとのこと。
嬉しいデス!
ありがとうございました。

時々感じるのですが、
このブログに訪問してくださる方の人数に対して、
拍手がわりと多くいただけているのではないかと。

「ペンは剣よりも強し」と言いますが、
まさしくそう思います。
「剣」が必要な時もあるのでしょうが、
私自身は、言葉によって共感者が増えることを目指しています。

そういう意味でも、予期せぬ励ましのお便りをいただくことは
大変なエネルギーを頂戴するような気分です。

これからも、一人でも多くの人に共感を得られるような行動と
それを表現する活動に邁進していきます。

ありがとうございます。
2011.10.22 / Top↑
今年のこの日は、私の気分的はいつもと違う感じです。

戦争をリアルに体験し、その記憶が明確な人たちというと、
75歳前後から上の年代でしょうか。
母がもうすぐ70歳ですが、空襲そのものは
記憶にないらしいのですが、おじいさんの背中で
川に架けられた丸太の一本橋を、空襲から逃れるためか、
おじいさんが必死に、丸太にしがみつくように渡ったことだけは
なぜか鮮明に覚えているそうです。

空襲、いわゆる爆撃から逃れるために必死に逃げても、
命を奪われてしまった人たちのことと、今年の震災や津波の
状況というものがとてもオーバーラップしてしまいます。
戦後というものは映像や話でのみ知るほかないのですが、
おそらく、今回の震災被害とはまた違う意味でひどいものだったのでしょう。


慰霊ということはもちろんのこと、
残された私たちは、戦後の焼け野原からでも立ち上がった先輩たちの
勇気と生命力に敬意を表し、今回の壊滅的絶望的被害からも
立ち上がる力のようなものを発揮していかねばいけないと思っています。

ネイチャーサイエンスキャンプが終わりました。
子どもたちを日常空間から離して2日間過ごさせる中で、
楽しかったこと、良かったこと、残念だったこと、考えさせられること
いろいろ感じました。
キャンプに参加した岐阜の子どもたちの無邪気さにホッとするとともに、
福島では、休み時間に校庭で遊ぶことすらままならないということも
同時に頭に浮かんできて、非常に複雑な気分になったり。

実際に、被災地から帰ってきて以降、どうしてもそのことを
横に置いておいて何かを考えるということが困難になっています。
それがいいことなのかどうか、よく分かりません。

年月とともに、この感覚はどう変化していくのでしょうか。
戦後を過ごした人たちに、そういう面でも教えを請いたい気分です。
2011.08.15 / Top↑
震災の被害に遭われた方、ご遺族、全ての皆様に
お見舞い申し上げます。

わが長男は中3となり、通常であれば
楽しみな行事のひとつである修学旅行が
5月後半に迫ってきました。

震災の影響は、こういう形で
少なからず全ての地域に及ぶものなのだと
改めて感じさせるアンケートを
中学校からいただいてきました。

このアンケートで各家庭の意向を確認し、
それに基づき修学旅行をどう実施するかを
決めるとのことです。

選択肢は3つ提示されていました。
1.予定通り、東京方面に当初の日程通り行く。
2.日程を延期し、東京方面に行く。
3.行き先を東京方面以外に設定しなおす。

本人は、自分の意向でどうこうなるものでもなく、
どれもそれなりに意味のあることと考えてか、
親に判断を任せてきました。

どうあっても本人に考え、選ばせるというのも
重要なこととは思いましたが、今回は、
私の「気持ち」で選びました。

3番です。

「その他、ご意見ございましたら、、、」という枠に
こう書きました。

震災復興ボランティアに、希望者のみで行かせたい。
何かあった時に学校に責任を問うようなことはしないという
前提つきで希望者を募れ場よいと思う。希望しない場合は、
その費用を同行希望の保護者の旅費と義援金に
充当してほしい。
中学生が被災現場で何ができるか、という課題はあっても
同じ国の出来事として、彼らの目でその現場を見ることで、
今回の震災を共有すべきだと思う。

おそらく、意見として採用されることはないでしょうが、
とにかく私はそういう気持ちでいます。

自分自身の社会的役割を真剣に考えざるを得ない経験を
中3という時期に持てるということは、
とても意義のあることではないでしょうか。

被災地に赴かなければ見えてこない色々なことを
感じ取ってほしいと願っています。

2011.04.13 / Top↑
先生。
とてもいろいろなニュアンスを含むこの言葉。

今、私は学習塾の先生という立場を
週に3日程いただいている。
私の中ではこの「先生」という言葉は
「先に生まれた者」という受け止め方をしている。
中学生を見させていただいているが、
彼らと私の違いは何か、
それは、彼らがまだ経験していないことの多くを
私は「先に生まれたが故に」経験してきたということ。
脳みその質みたいなところで比較することが可能であれば
私より余程よい構造をした脳を持っている者が
私の指導を受けている、そういう者もいる。

中3受験生は、今、すでに進学先が決定した者と
そうでない者がざっくり半々に分かれている。
岐阜県公立高校入試制度の特色化選抜にて
合格を手にできなかった者は、
3月10日の一般選抜に向けた時間を過ごしている。
ある意味、半分の中に入れなかったことから来る
劣等感にがんじがらめになってしまって
本来の学力を発揮できないかもしれない。

そうなってもおかしくない状況の中、
私の目の前にいる塾生の多くは、
最後まで全力を尽くす姿勢を示している。
内面は、本人ではないので分からない。
しかし、姿勢がある以上、1点でも多く
得点できるようにアドバイスを与えることが
私の役目。精神論は、試験終了後でもよい。

数学は、「16歳の教科書」(講談社)に
取り上げられている鍵本聡氏の言葉を
引用させていただいた。
曰く「その問題のジャンルを考える」だ。
試験当日までに、分野別問題などはもうやらず、
図形なら、三平方の定理?相似?など、
全く不明の問題を眺め、自分でその問題の
見通しを立てる。で、それが立てられたら
「解かない。」
解説を見て、方針があっていたかどうかを
確認し、次の問題へと進む。
勿論「三平方の定理ってなんやったっけ?」
というようなことを言い出す塾生には、
数学以外の問題で得点を稼いでくれることを
期待することになるが、
基本がきちんとできている生徒には、
なるほどこの方法で多くの問題を解いたのと
同等の効果が得られるだろうと感じた。

そして、自分の受け持ち教科である国語は、
漢字の見直しを徹底的にやっておくように
指示した。
塾で使ってきた漢字専用テキストの
書き取り問題38問×15ページ分をやり、
書けない漢字を一つでも減らすこと。
岐阜県は漢字問題で20点ある。
さらに、最後の長文記述問題で
誤字をすれば確実に減点されるだろう。
読解問題は、題材により読み取ること自体が
変化することと、これからの数日間で
読解力が一気に向上するということも
考えにくいので、明確に漢字練習して
本番を迎えることが、精神衛生上も
健全さを保ちやすかろう。

そんな感じで、情緒的な話は
一切せず、先日の授業を終えた。

しかし、そういう生徒とともに
実はすでに特色化選抜で合格している
生徒たちが多数、塾を休むこともなく
きちんと勉強している。
266問の漢字書き取りテストを
課しておいたのだが、
満点獲得者は、すでに岐阜高校に
合格を決めている生徒であった。
1問間違いという生徒は県岐商に
合格している。
この2人の「姿勢」に脱帽である。

自分自身、先に生まれて過ごしてきた
自分の学生時代を振り返り、
やるべき時にきちんとやれたとも
言いきれず、目標達成後にも
すぐ次のゴールに向けて
スタートを切ることなど
考えもしなかった。
その結果がどうであったか。
やはり、後悔していることも
たくさんある。
現状は幸せ感がかなり高いものの、
30代後半までは後悔を払しょくするために、
変な力み=コンプレックスみたいなものだろうか、
そういったものに影響を受け、
また後悔をするというようなことがあった。

今、中学生に戻れるならこうしただろうに、
ということを「先に生まれた」から感じ、
代わりに彼らに「そうあってほしい」と願い、
しかし強要することでもなく、
一人の人間モデルとして
ただ彼らの目の前に存在していたい。

そんな思いが今は強い。
昔の塾勤務時代と、7年近く別の道を
たどった結果として、得た感覚。
これが正しいかどうかという基準で語るものではない。

こうやって生きていく、こうありたい、
そういうものは、自分の中の真理であり、
ある枠組みにおいて受け入れられたり
拒否されたり、様々だ。
それでいい。そういうものだ。
それがわかっているから
私は立ち止まらない。

受験生、立ち止まらないでいてほしい。
それだけを願う。
2011.03.05 / Top↑
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